アイヌ語の表記法について
アイヌ語は、もともと独自の文字を持たない言語でした。しかし、19世紀末ごろから少しずつ文字で書き記されるようになり、現在では俗に「アコㇿイタㇰ式」と呼ばれる表記法が広く使われるようになっています。
アコㇿイタㇰ式とは
「アコㇿイタㇰ式」とは、北海道ウタリ協会(現在の北海道アイヌ協会)が1994年に出版した『アコㇿイタㇰ』というアイヌ語の教科書で用いられる表記法のことです。
アコㇿイタㇰ式には、大きく分けて2種類の書き方があります。
- カタカナ表記 ── 「アイヌ語仮名」と呼ばれる特殊なカタカナを使って書く方法
- ローマ字表記 ── ローマ字(アルファベット)を使って書く方法
ここでは、「私はアイヌ語を勉強している和人です。」という文を例に、それぞれの書き方を見てみましょう。なお、「和人」とは日本の多数民族を意味します。
ローマ字表記の例
Aynu itak eyaypakasnu wa an sisam ku=ne ruwe ne.
イコールの記号は、「人称接辞」という特別な言葉を表しています。
カタカナ表記の例
アイヌ イタㇰ エヤイパカㇱヌ ワ アン シサㇺ クネ ルウェ ネ。
「ㇰ」「ㇱ」「ㇺ」のように小さく書かれている字がアイヌ語仮名です。
アコㇿイタㇰ式以外の表記法について
アコㇿイタㇰ式が広まる前に書かれた資料には、それぞれ独自の表記法が使われています。このサイトでもそうした資料を一部収録していますが、学習者の混乱を避けるため、「現在一般的に用いられている表記ではありません」という案内を表示するようにしています。
ここでは、代表的な2つの表記法を紹介します。
知里真志保の表記法(アイヌ民譚集)
言語学者・知里真志保が記した『アイヌ民譚集』では、次のような表記が用いられています。
"Uneno wen͡-an͡ awa nekona a-kor Panampe ene ipe-no nishpa ne ruwe-ta-an?" ——ari hawean.
「同じく貧しかったのに,どうして我パナンペよこう美食の長者に成ったのだい」——と言った.
アコㇿイタㇰ式と比べると、いくつか違いがあります。たとえば、人称接辞の区切りにアコㇿイタㇰ式では =(イコール)を使いますが、知里は -(ハイフン)を使っています(例:アコㇿイタㇰ式の wen=an → 知里の wen-an)。また、子音の書き方にも違いがあり、アコㇿイタㇰ式の nispa に対して nishpa のように sh を用いています。
知里真志保の表記法についてさらに詳しく知りたい方は、『アイヌ人によるアイヌ語表記への取り組み』もあわせてご覧ください。
ジョン・バチェラーの表記法(新約聖書)
イギリス人宣教師ジョン・バチェラーがアイヌ語に翻訳した「新約聖書」では、次のような表記が用いられています。
Anukara kuni gusu moshima guru tek samata echi oupekap iteki kara yan, anukara kuni gusu oupekap echi ki yakun, kando otta an echi koro michi anak ne pummaha shomo kore ruwe ne.
見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
アコㇿイタㇰ式との主な違いは次の通りです。
- ch や sh のような2文字の組み合わせで子音を表す(知里の表記法と共通)
- アイヌ語では一般的に区別しない g や d なども、バチェラー自身の聞き取りにもとづいて書き分けられている
- 子音で終わる音節についても、バチェラーの聞き取りにしたがって母音を挿入する場合がある
- 人称接辞を = で区切らず、ひと続きに書く(例:アコㇿイタㇰ式の A=nukar → バチェラーの Anukara)
ただし、人称接辞をまったく表示しないわけではありません。次の例を見てみましょう。
orota kuani ne yakka ku oman wa ongami ku ki gusu ne na, sekoro itak.
わたしも行って拝もう」と言って
この文では、ku(一人称主格接辞)をスペースで動詞と区切って書いています。このようにスペースで区切られる人称接辞には、ほかに echi・chi・un・en などがあります。
表記法がちがっても、そこに記されているのはおなじアイヌ語です。資料によって見た目が変わることを知っておくだけで、辞書や文献を読むときのとまどいがぐっと減るはずです。