10日
wan to
tutko rerko 二三日そこにまた寝て休んでおって、ったらすっかり体具合よくなったんだって
二、三日そこでまた寝て休んでいたら、すっかり体の具合が良くなったのだと。
tutko rerko i=kosini yan i=korewsi yak pirka p って二日か三日泊まって行けばいいのにってその三人出たアイヌのなかで一人言ったけど聞いたふりしないでまた行った。
二日三日休んでいきなさい、泊まっていけばいいのにと、二日か三日泊まって行けばいいのにとその三人のうちの一人が言ったけれど、聞かずにまた行った。
B: kampinuyekur ku=ne hi ta, girifis大学 or ta ku=oman wa, aborigini oruspe newa aborigini puri ku=ekampinuye. oro ta easir, 日本or ta ka, teetawanoankur okay hi, ku=eraman. ne a hi ta, inisuk kampi ku=nukar wa nani ku=ek rokokay.
B: 学生時代に留学したグリフィス大学で アボリジニの歴史と文化を学びました そこで 日本にも先住民族がいるということを知ったんです そのときに求人を目にして 応募しちゃったのでした
taa sinke'ikehe taa, suy ウン poniwne monimahpo taa, tani kiyanne monimahpo tura tah niinahci. taa 'inoskun monimahpo taa, hekaci tura 'ohacirun. hekaci tura hosiki kanne ne'ampe, yeeruye poniwne monimahpo taa 'ohacirun neyahkayki taa, 'orowa 次の日ne'ampe taa poniwne, 'inoskun monimahpo taa, ne'an, hekaci tura 'ohacirun. tani taa イチバンkiyanne monimahpo taa, hekaci tura 'ohacirun manu.
その次の日、またその末娘と、こんど上の娘が一緒にマキとりに行った。その中の娘が、子どもと留守番した。子どもとはじめは、一番下の娘が留守番したけれども、その次の日はその下の、中の娘がその子どもと留守番した。こんどは一番上の娘が子どもと留守番したとさ。
sinen ne e kor an といったらお母さんがお父さんもう出かけたの分かったらお母さんこんな畜生こんなものいるために肉もいいとこ食べれない魚もいいとこ食べれないでおったから今から倍もお父さんいない時うまいとこ魚でも肉でも食べてやるからそして horkew に何も食べさせないで自分一人で食べていたんだって、お母さん、そしたらもう何日もお父さん
ひとりで食べていた。母は父が出かけたのをみると、母は「この畜生がいるために肉も魚もおいしいところが食べられないでいたから、これからは父さんがいないときは魚でも肉でもおいしいところを食べてやるから」と、狼には何も食べさせずに自分一人でいいものを食べていた。そうしていたら、もう何日も父は
sisamitak patek sisam puri patek kor ci p emina a emina
日本語や日本の習慣だけの者は(アイヌ語で話すのを)さんざん笑った
sir-onuman cupahun etoko ta tane Pánampe síno kironnu kusu ene itaki;
日も暮れかかって 太陽が西に入ろうとする前にはもう パナンペはすっかりお腹がいっぱいになったので申しました、
"nise'asin!" nah yee manu. "nise'asin!" nah yeehe ne'ampe taa, tani taa horokewpo 'utah taa 'asipahci manuyke taa, 'okorehcin taa, woosehci manu.
「日の光よ出ていけ」といったとさ。「日の光よ出ろ」と言ったら、こんどその男たちが出て来て、みんな、ウォーウォーとほえたとさ。
sirkunne akusu konto sine porokur ahun hine ene hawean hi.
日が暮れると、今度、一人の老人が入って来て、このように言った。